矢山利彦コラム

HOME > 矢山利彦コラム > ヒーリングへの道しるべ 2011年11月 『ほろとろぴっく通心』より
私たちが現実と思っている事柄は、心の深いところにある「アラヤ識」から生まれたもので、空海はすでに・・・

ヒーリングへの道しるべ 2011年11月 『ほろとろぴっく通心』より
私たちが現実と思っている事柄は、心の深いところにある「アラヤ識」から生まれたもので、空海はすでに・・・

(前回のつづき)


二十六、「『大智度論(だいちどろん)』にいわく、『人の鼻下に糞あれば、沈麝(ちんじゃ)等の香を嗅ぐともまた臰(くさ)しとするが如し』と。」

十住心論 巻第九

 我々の五感から入ってくる情報は、脳にすでにデータとして貯えられている情報に照らし合わせて取捨選択され、解釈されています。そのものを見たり、聴いたりしていると感じていますが実はそうではないのです。大智度論ではこう書かれています。「鼻の下に糞がついていると、沈香(じんこう)や麝香(じゃこう)のような高貴な香りも糞のように臭いはずだと。」

二十七、「哀しいかな、哀しいかな。また哀しいかな。悲しいかな。悲しいかな。重ねて悲しいかな。」
遍照発揮性霊集巻第八

 私の甥の智泉(ちせん)が死んでしまった。この世の悲しみは、すべてまぼろしにすぎないことは修行によりわかっているが、それでも限りなく悲しく涙が流れる。

二十八、「仏心は慈(じ)と悲(ひ)となり。大慈はすなわち楽を与え、大悲はすなわち苦を抜く、抜苦は軽重(けいちょう)を問うことなく、与楽は親疎を論ぜず。」
遍照発揮性霊集巻第六

 人の心の内にある仏心とは具体的に現れてくるものです。それは慈(いつくしみ)と悲(あわれみ)の心から発した行動となってきます。仏心からの大いなる慈は人びとに楽を与え、大いなる悲は人びとの苦を根本的に解決することです。人の苦しみに対してはその程度を問わず、楽を与えるときに親しい人かそうでないかを問わない。それが仏心です。  

二十九、「虚空(こくう)尽き、衆生(しゅじょう)尽き、涅槃(ねはん)尽きなば、我が願いも尽きん。」  
遍照発揮性霊集巻第八

 宇宙が存在しなくなり、万物すべてが仏となり、煩悩を滅した悟りの境地さえもなくなったとき私の願いはなくなるでしょう。すなわち時空を超えて永遠に私は人びとの苦を抜き楽を与えんことを願い続けます。  

三十、「それ仏法、遥かにあらず。心中にしてすなわち近し。真如、外にあらず、身を棄てていずくにか求めん。」
般若心経秘鍵

 仏の教えにより悟りを得たいと万巻の書を読み、どこか誰かに魔法のような方法を期待して探し求めてはいませんか。そんな遥か遠くにあなたの求めるものはありません。その答えは心の中、ほんとうに近いところにあったのです。「間違いない、これだ」と確信を持てるものは自分の外(そと)にはないのです。身体を使って修行して得た心の中の真実、これ以外にどこに求めるのですか。


(つづく)

ショッピングサイトへ ページの先頭に戻る