矢山利彦コラム

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引き続き『空海の言葉』を読み解きます。
迷いの心とは、心の存在とは、こだわり、思いこみ、不安・・・とは。

ヒーリングへの道しるべ 2011年7月 『ほろとろぴっく通心』より
引き続き『空海の言葉』を読み解きます。
迷いの心とは、心の存在とは、こだわり、思いこみ、不安・・・とは。

(前回のつづき)

六、「自心に迷うが故に、六道の波鼓動し、心原(しんげん)を悟るが故に、一大の水、澄静(ちょうじょう)なり。澄静の水、影、万像を落(うつ)し、一心の仏、諸法を鑒知(かんち)す。」
十住心論巻第九
 
 迷いの心は「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天」という六つの様相を呈し、見つめていると、水面に波が立つように揺れ動いています。しかし、心の奥の奥の源は何かそれを探求し、気がついてくると、広大な心の世界も、湖面が澄んで静かになるように澄んで静かになっていきます。澄み静まった水面にはあらゆる物が映るように、我々の中の仏心が目醒めると、一切の存在の実体を鏡に映すように知ることができるのです。

七、「心は内に在らず、外に在らず、及び両中間にも心不可得なり。」
秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)巻下

 心ってどこのあるのでしょう。目醒めた心、仏心は小さな個の中にとどまるものではありません。また可視の外界にあるわけでもありません。またその中間にあるわけでもないのです。では、心はどのように存在するのでしょうか。それを知るには心を目醒めさせるしかないのです。(その方法を明示しましょう)

八、「有無(うむ)に滞(とどこお)らざるを以ての故に、心に礙(けいげ)無く、所為の妙業、意に随(したが)って能(よ)く成ず。」
十心論第七

 「そのことが有るのだろうか、無のだろうか?」実に様々なこだわりが我々の心を停滞させます。そのこだわりをサラリと捨てると、心にさまたげるものがなくなって、自由になります。そうすると、今行っている優れた修行が意のままに成就していくのです。

九、「只(ただ)一念の生ずるに由(よ)って、虚妄(こもう)にして迷と悟を懐(いだ)く。若(も)し本真源に達すれば、罪と福と元(もと)より主無し。」
五部陀羅尼問答偈讃

 あなたは、何か一つのことを思いこんでいませんか。それが続くと中身のない、いつわりの迷いが湧いてきます。そして、悟ったと思ってもそれも中身のない、いつわりの悟りなのです。もし、我々の本当の真の源に達することができたなら、罪悪とか福徳とか、そのような区別したい気持を本来我々は持っていなかったことに気がつくでしょう。

十、「怖畏(ふい)ある時には空観せよ」
秘蔵記

 あなたは何が「こわい」ですか。「おそろしい」ですか。「不安」ですか。そんな感情が湧いてきて離れないときは、それは外からくる条件と自分の中の因子が合わさって生じていることを逃げずに見つめて下さい。そうすれば、外の条件を変えられなくても、自分の心は変えられることがわかってきます。そこから行動を起こせば、徐々に事態は変わってくるのです。            

(つづく)

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