矢山利彦コラム

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ヒーリングへの道しるべ 2012年3月

(前回のつづき)

第七住心覚心不生(かくしんふしょう)心

 ここでいう心とは、超意識、事物を生み出す根源の心という意味でしょう。その心を自覚するようになると、不生。すなわち第一住心の異生と対応する意味で、輪廻転生の浮沈の苦から抜け出して、大きな進歩の大河の流れに乗るという意味でしょう。菊池寛の「十住心論」の覚心不生心の解説に、"下駄足駄つくりかえれば釈迦阿彌陀"という俳句がありますが、同じ木でも足に踏まれる履き物と、人に拝まれる佛像と大変な相違があります。この相違は何をつくるかという心によるものです。しかし下駄足駄もまた、佛像と同じように大切なものです。いや場合によっては佛像より大切なこともあるかもしれません。それもまた心によるという例えの意味がこの句には含まれているようです。

第八住心一道無為(いちどうむい)心

 このあたりから空海が、言葉に表しにくいから「秘密」と題した意味がよくわかってきます。一道すなわち天地自然の理がよくわかって体得されると、無為。すなわち計らい心がなくても、何事も意のままになる心の段階と言っておきます。

第九住心極無自性(ごくむじしょう)心

ここで無とは、何も無いという意味ではなく、無尽蔵の無。すべてを生み出す根源という意味で、現代風に表現するならば、統一場とでもいうしかないでしょう。その統一場を極めた心が自性となった状態を言うのでしょう。こうなるとヒマラヤ聖者のように空間から物質を取り出すことができるようになると思われます。

第十住心秘密荘厳(ひみつそうごん)心

この心は、言葉では表せないから秘密といい、荘厳とは、善も悪も、正も邪も、美も醜も、過去も現在も未来も、すべてを肯定して荘厳に光輝いているような状態のような気がします。


以上のような心のステージは、固定的なものではなく、例えば第一、二、三住心の間で上下をくり返しながら、第三住心の状態が主となり、第五住心の状態になると、もう第一の異生羝羊心には戻らなくなるという具合いに、二~三の段階ぐらいをひとまとめにして上下をくり返しながら進歩していくように思えます。

おわりに
空海と名がつく書は目につくと買わずにいられない年月が三十年以上も続いています。読めば読むほど空海の素晴らしさと、その思想が現代の人々にきっと救いになると確信しています。私は空海の言葉で何度も心が救われました。

(おわり)

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