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創刊号(1994.9.25発行)船井 幸雄×矢山 利彦【2】

経済活動は「神が司る」領域。
エゴのある人間は枠を越えられない。


矢山:船井先生ご自身は経済活動の分野で、いろんな人 から相談を持ち込まれてお答えになるのでしょうが、先生が最近お書きになっている本は、人間を研究されている立場からが多いと思うのです。この前、竹村健 一さんが佐賀に来られて、船井先生の話しが出た時に「最近、神がかり的になっている"」という事を言われていましたが ...。

船井:私は、経済は神が司っているという意見なのです。そ ういう意味では考え方が神がかっているかもわからない。そういう意味では、ですよ。というのは、人間がどんな事をやっても自然に戻されるのです。人間の作 為が通らないのですね。だから、人間の良心と自然の理というものによって経済は動いていくのです。
人間が自分の知恵で「ああしてやろう」「こうしてやろう」といろいろやりますね。例えば今、あまり円高ドル安にならないためということで、世界中の中央銀 行あたりが介入していますね。ところが、今ある為替というのは明らかに人為的なものです。それで一時期うまくいけても、その後のしっぺ返しが絶対激しい。 現在、円ドル関係もある程度安定しているように見えるし、それから日本の株もそこそこ高いけど明らかに作られたもので、こんなのは絶対駄目だというのが私 の意見です。

矢山:先生が言われる「神が司る」と言うのは、「良心と自然の理」という事ですね?

船井:そうです。自然の理によってキチッと決まっている。
人間があるレベルに達するまでは、人間というのはエゴばかりでとんでもない奴なので世界をおかしくするから、神が決めているか、あるいは自然の一つの大き な枠があって、その枠から人間ははみ出す事ができない。もうちょっと人間のレベルが高くなったら、今度は少し違った事情になるけど、その時には経済活動な んてなくなるのじゃないかと思います。いらなくなるのじゃないかと思うのです。経済活動というものが活きて、我々がそれで生きていかなければならない間 は、どうも一つの自然の理の中で制約があって、その中でああだ、こうだと喜んだり悲しんだりしているだけじゃないかと、私はそう思うのですよ。

矢山:経済は神が司ると言うのは、多分最近おっしゃった事だと思うのですが、これは普通の人にはわかりにくい事だと思うのですけど。

対談風景船井:人為的に「ああだ」「こうだ」と考えて作為的にやった事は、マクロに見た場合は結局は通用しないと思うのです。経済の動きは人間の知恵以上のもののような感じがするのです。
だから、とことん考えてやった事でも、自然の理と良心に反する事をやったら結局負ける。

矢山:そのあたりは、やっぱり今までの人間研究や、世の中の研究でそういう結論になられたのでしょうか?

船井:そうですね。知的生命体も明らかにエゴがある間は自由がない。エゴがなくなったとき自由になって、みんなわかるようです。人間というのは、今の段階ではエゴがある。エゴがあるレベルの人間においては、自由がないというふうに判断しています。
新垣哲男さん(注1)は、 植物はエゴを発揮できないからエゴを諦めている。だから、全く自由だからよく知っている。それよりも進んだ人間がわからないのは、エゴがあるからだとおっ しゃっています。その通りだと思います。植物は将来、進化して多分本質は人間のレベルになると思うのですね。エゴがなかった植物のときわかったのが、人間 になってエゴが出てくるとわからなくなる。わからないで、なおかつ力がある者が無茶苦茶やったらいけないから、自然はそれに対して枠をはめてしまう。
だから、人間がエゴから超越してちゃんとわかるようになった時には、人間は枠から外れますから全てがわかってくる。今のように人の足を引っ張ったり、無茶 しないし、多分病気にもならないし、経済行為も必要なくなるであろうというのが私の意見です。必要なものは必要なだけ与えられるし、お金などなくとも食べ ていける。みんなと助けあって、しかも好きな人が集まって、楽しくというようなかたちになるのじゃないかという感じはしますけどね。経済は神が司っている と言っていますが、それは私が神がかっているということではないのです。

我欲の強い人ではもうからない。
そういう時代をすでに迎えている。


矢山:エゴについてですけど、人間の歴史を見ると、 やっぱり生存のために食料や安全や、そういうものが厳しい時代があったと思うのですね。エゴをあまり出さなくてもすむ時代というのは、やっぱり食料や安全 や環境というものが、わりと心配ない時代でないとちょっと難しい、みたいなところもあると思うのですけど。

船井:そういう時代がもう来ると思います。

矢山:食料に関しても、環境に関しても?

船井:心配ないと思いますね。誰かが搾取して自分だけ楽し て、物欲というか所有欲が強くなったところからエゴが発生したのでね。だから所有欲がなくなればいい。一ヶ月で一人が一日くらい働くだけで、食べるものか らエネルギーから全てがいっぱい出てくるような世の中になれば、そんなものはなくなる。しかも、それはもう近いうちに来るのじゃないかと思います。

矢山:原始社会なんかで、まだ農耕が入っていないところは、取れた獲物を皆で分けあって生きていますよね。ああいうところはあまりエゴがないのですけど、農耕が始まって少し貯蓄ができるようになって、そこでエゴが出てきたのでしょうか?

船井:そう思います。エゴがあって一生懸命苦労したり、い ろんな学びをするのも、一つの決められたプロセスと思うのです。少なくとも世の中は、非常にうまくプログラムされていて、われわれの本質は多分、植物から 動物になり、人間になり、人間の中でもエゴのある、あまり程度が良くない自分中心の時代があって、これは当然だと思うのですね。体を持って知的な能力が付 いたら当然エゴが出ますよね。そのうち、これは損だなと気が付いて、その一つ上のレベルに上がって行く。

矢山:では、エゴを非常に発揮してきたことも、必然で必要だったという事ですね?

船井:そうですね。人にもいろいろありますから、我欲の強 い人は我欲をしっかり出したらいい。今さら遠慮する事はないのでね。そのうちそれが空しい事がわかって、段々上に上がって行くのでね。私達のような商売を やっていると、相手のレベルはみんな違いますよ。ただ、今の世の中は我欲の強い人がもうからないように段々変わってきています。例えばウォルマートのよう に、競争ではなく良心で価格と品質を決めると言っていたところが世界一になってしまった。このことを見ても、段々そういう状態になっているのじゃないか、 というのが私の意見です。

矢山:エゴを少し越えたような時代を指向したほうが良い?

船井:今の段階では時流はそうなっています。イーバ(注2)でいろんな人の脳波を測ってみると、伸びている会社の経営者というのは我欲中心ではないですね。企業経営の第一目的は収益性にあるというけど、収益性のためにはまず教育性がある。自分の会社の人達や株主や、取引する人達の人間性を高めて、世のため人のためになる事が利益に繋がる、というふうに変わったきたのです。

矢山:そうしますと、リストラクチャーとかリエンジニアリングとか言って、いろんな人を整理するのは?

船井:あれはいけないですね。経営者にとって最大の目的は、どれだけ多くの人を食わせるかです。

矢山:単純で明快な真理ですね。

船井:たくさん食わせられたほうが勝ちなのです。目先の利益のために人の首を切るというのは、こんなのは絶対正しくない。

矢山:この前、テレビでやっていましたけど、アメリカではずっと長い事IBMで働いてきた幹部社員までレイオフしてしまう。

船井:いまのアメリカ経済が少しよくなったというその繁栄 は、あれは人の首を切って築いた繁栄なのです。そういう経済制度ができていること自体が、何かエゴの終局への到達を感じさせます。私はいつも例にあげるけ ど、「船井総研を今すぐ解散して私一人でやったら、今の収入の多分軽く十倍は取るよ。何のためにやっているかというと、それだけの人を食べさせる事に生き 甲斐を感じている。一番よくわかるじゃないか」と言っています。そんなものだと思います。

矢山:私は、どれだけ多くの人を治すかというのが目標 で、ずっと追及してきたのですけど、最近私が到達した結論は、船井先生が前からおっしゃっていた長所伸展法という事に帰着しました。つまり長所伸展的な医 学、医療にすると病名は関係なくなるのです。人間の中の長所というのは、いわゆる生命力や気のことだと思うのですけど、それは食べ物の事や体の動かし方、 そして一番大事なのはやっぱり心の持ち方、意識の持ち方になってくるのです。
物としての人間と、心を持った存在としての両面から伸びる力、治る力を引き出してやりたいと、そう考えて私は今やっているのです。すると病名はあまり関係なくて、同じような治療になってしまうのですね。しかも、それでけっこう治っていくのです。

船井:そうですね。みんな一緒だと思いますよ。それが突き進んで行くと、二十一世紀は病気がなくなると私は思うのです。

注1:新垣哲男=植物から教えられた様々な発明で人々を救う沖縄在住の人物。
注2:イーバ=Macのモニター画面上で脳波の状態を時間変化に沿って3次元のカラーグラフで見ることができるシステム。

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