矢山利彦コラム

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何のために気功を訓練するのか―健康・武術・脱洗脳

ヒーリングへの道しるべ  2009年9月 『ほろとろぴっく通心』より
何のために気功を訓練するのか―健康・武術・脱洗脳

「何ごとも嫌だと思わず淡々とやればするするできるものなり」
これは、自分で気に入っている「気」の極意歌(?)で、自分でつくったものだが、自分のためというより、妻のためのものである。

「嫌気」と「やる気」―この正反対の「気」が日々の営みであり、ひいては人生を大いに変化させるものでもある。自分は生来、何にでも興味を持ちやってみることが多いが、また飽きることも多い。誰かができることなら自分もできるだろうとのん気に考えて、すぐやる気になるのだが、何ごともそう簡単にはいかなくて嫌気がさしはじめる。

そんな自分にも、あきることなく続いているのが武術の研究、気の研究、病気治しの研究だ。この三つの分野は異なっているようで、実は深く繋がっている。人間の気の流れを活性化すれば、それは病気治しそのものであり、自分にとっては武術の力を高めることになる。相手の気の流れを妨げ、さらにこれを止めると、これは武術における不可視の技術となり、この作業の後に見える武術の技が行えるようになると、達人クラスになっていける。

病気を治すに当たっても、目に見える症状だけを追いかけて、症状を抑える作業を行っても、病気そのものの完治は難しい。武術もパワー、スピード、技を追究する身体能力だけに依存する過程を超えて「気」の力を追究していかないと、生涯を通じた武術の道すなわち武道になっていかない。

「何ごとも嫌だと思わず淡々とやればスルスルできるものなり」
繰り返すが、何か嫌なこと、気にかかること、気が晴れないことがあったとき、この歌を口にしてほしい。きっと気が軽くなることだろう。妻は私とほとんど正反対の性格だ。やる前から心配するし、自分にはきっとできないだろうと思い簡単に新しいことには飛びつかない。他の人の気持ちを慮ってくたびれている。私は、人は人、自分は自分と思って、他の人の気持ちを推量することはあってもあまり気にしない。(続く)

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